【第20話】国民的名馬の歴史的レース


昨年の天皇賞はリスクグラシューが勝ったのかー。これは盛り上がっただろうなー。

・・・おいおい、どうした、どうした。『ウォッカなのかウオッカなのか、どっちか分からないけど、とにかく大好きです』競馬の伝道師ODINです。

ああ、ODINさん。今過去のG1レースを振り返っていたんですけど、去年の天皇賞はすごいですね。アーモンドアイサートゥルナーリアワールドプレミア、強く有名な馬が勢ぞろいです。

ふっふっふ。2019年の天皇賞は、史上最多となる11頭のG1勝利馬が集結したレースだからな。中央競馬の1年の締めくくりに相応しい、豪華絢爛なレースだった。

しかし、そのような馬の名前がポンポン出てくるとは、どうやら立派な競馬ファンに成長したようだな。

・・・確かに過去のレースが気になるくらいですからね。すっかり競馬にはまってしまったかもしれません。ODINさんの基礎講座も、気が付けば20回目ですし。

そうだな。そして、今回が最終回だ。最後は、これまでの競馬界の栄光と繁栄の象徴である国民的なスターホースを紹介しよう。私の競馬基礎講座における卒業証書のようなものだ。


ディープインパクト

ディープインパクト01

基本情報

生誕~死没 2002年3月25日~2019年7月30日(17歳没)
競走馬の現役期間 2004年~2006年
性別 牡(オス)
サンデーサイレンス
ウインドインハーヘア
馬主 金子真人ホールディングス
調教師 池江泰郎
主戦騎手 武豊
生涯成績 14戦12勝
獲得賞金 14億5455万1000円
主なG1勝利レース 皐月賞、日本ダービー、菊花賞、天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念など
主なタイトル JRA賞年度代表馬、顕彰馬、IFHA世界ランキング1位

来歴

武豊騎手が「走っていると言うより飛んでいる感じ」と評価した競馬界を代表するスターホースです。現役時代はわずか2年間ですが、その圧倒的なパフォーマンスにより、競馬ファンのみならず日本中を熱狂させました。日本競馬で最も有名な競走馬と言っても過言はないでしょう。

デビュー7戦目で、史上2頭目となる無敗での牡馬クラシック三冠を達成し、国内では13戦12勝(唯一の1敗は2着)と無敵でした。

世界最高峰の競馬レースと言われるフランスの凱旋門賞では、1番人気ながら3着と振るいませんでしたが、その年の世界統一ランキングで芝・超長距離部門の界ランキング1位を獲得しています。

現役引退後は、種牡馬(父親)として活躍し、数々のG1レース勝利馬を輩出しました。初めての産駒(子供)がデビューした2010年から死去する2019年まで、ほぼ毎年日本リーディングサイアー(種牡馬ランキングTOP)を獲得しています。

2019年7月、頚椎骨折のため安楽死の処置が取られ、17歳の若さで亡くなりました。翌週のJRAレースでは、数々の追悼競走が実施されたほか、自身が重賞初制覇を果たした「報知杯弥生賞(GII)」が「報知杯弥生賞ディープインパクト記念」に名称変更されるなど、その偉大な功績は今でも称えられています。

代表的なレース(2005年10月23日菊花賞)

史上2頭目となる無敗でのクラシック三冠を達成したレースです。このレースを担当した馬場鉄志アナウンサーの実況中継は、のちに「FNSアナウンス大賞」を受賞し、今もなおスポーツの名実況シーンとして語り草になっています


ナリタブライアン

ナリタブライアン

基本情報

生誕~死没 1991年5月3日~1998年9月27日(8歳没)
競走馬の現役期間 1993年~1996年
性別 牡(オス)
ブライアンタイムズ
パシフィカス
馬主 山路秀則
調教師 大久保正陽
主戦騎手 南井克巳
生涯成績 21戦12勝
獲得賞金 10億2691万6000円
主なG1勝利レース 朝日杯3歳ステークス、皐月賞、日本ダービー、菊花賞、有馬記念など
主なタイトル JRA賞年度代表馬、顕彰馬

来歴

史上5頭目の牡馬クラシック三冠馬で、「シャドーロールの怪物」という愛称で親しまれていました。兄弟馬であるビワハヤヒデと共に、中央競馬の第二次ブームをけん引しました。

デビュー6戦目に弱点克服のためにシャドーロールを装着してから真価を発揮し、そこから半年間で、G1レース5連勝10レース連続連対(2着以内)を達成させ、一躍スターダムに躍り出ました。その年はJRA年度代表馬に輝き、年間総収得賞金の7億1280万円は、今も破られていない史上最高額です。

1996年6月(6歳)に屈腱炎を発症させ、突然現役生活を終えることになりました。引退後は種牡馬となり、内国産馬として史上最高額となる20億7000万円のシンジゲート(種付け料)が組まれました。

しかし、1998年6月に胃破裂のため安楽死の措置が取られ、わずか8歳でこの世を去りました。種牡馬としての活動はわずか2年足らずであり、目立った活躍はありませんでした。

なお、TV番組「とんねるずのハンマープライズ」でたてがみが高額で落札されたり、福本伸行著「銀と金」で日本最強馬として登場したり、レース以外でもたくさんの話題を提供しました。間違いなく、20世紀を代表する1頭です。

代表的なレース(1994年11月6日菊花賞)

史上5頭目となるクラシック三冠を達成したレースです。芝状態が悪かったにも関わらず、兄弟馬のビワハヤヒデが前年にマークしたレースコートを更新する走破タイムで優勝しました


ハイセイコー

ハイセイコー

基本情報

生誕~死没 1970年3月6日~2000年5月4日(31歳没)
競走馬の現役期間 1972年~1974年
性別 牡(オス)
チャイナロック
ハイユウ
馬主 王優→ホースマンクラブ
調教師 伊藤正美→鈴木勝太郎
主戦騎手 福永二三雄→増沢末夫
生涯成績 22戦13勝
獲得賞金 2億1956万6600円
主なG1勝利レース 皐月賞、高松宮記念、宝塚記念など
主なタイトル 顕彰馬

来歴

1972年に大井競馬場でデビューしました。6連勝を達成すると「地方競馬の怪物」と注目を集め、1973年に中央競馬に移籍します。移籍後も連勝を重ねて、皐月賞で勝利するとその人気は競馬の枠を超え、社会現象に発展しました。

数々のレースで、史上最高の単勝支持率史上最高の観客動員数史上最高のファン投票数を記録し、日本競馬の第一次ブームの立役者と評価され、顕彰馬を受賞しています。

1974年、引退試合となった有馬記念では惜しくも2着に終わりましたが、TV中継で流された「さらばハイセイコー」という楽曲は、50万枚を超える大ヒットとなりました。

引退後は、種牡馬として多くのG1レース勝利馬を輩出し、日本リーディングサイアー(種牡馬ランキングTOP)を獲得しています。種牡馬になってもその人気は衰えず、観光バスの行列ができるほど多くのファンが牧場を訪れ、「馬産地を見学する」という文化を作ったともいわれています。

2000年5月に、寿命により31歳で亡くなりました。中山競馬場、大井競馬場ではハイセイコーの銅像が建立され、その偉大な功績が今も称えられています。

代表的なレース(1973年4月15日皐月賞)

中央競馬移籍後初めてのG1レースです。このレースに勝利して、ハイセイコーは国民的な人気馬となりました。地方競馬からの移籍馬が皐月賞を勝利したのは、中央競馬史上初めての快挙でした。


・・・最終回に相応しい素晴らしい馬ですね。競馬を始める前から、名前くらいは知ってました。

そうだな。日本競馬界の栄光と繁栄を築いた日本を代表する名馬たちだ。

そして、今回をもって、ODINさんの基礎講座も終了ですね。最初はどうなるかと思いましたが、細かく教えてもらったおかげで、かなり競馬を好きになることができました

・・・それは「競馬の伝道師」冥利に尽きる話だな。色々大変だと思うが、今日までよく付き合ってくれた。・・・本当にありがとう。

こちらこそありがとうございました!これからは一人で頑張りますね!お疲れさまでした!

・・・そうだな。もう目の前に突然現れることもないだろう。これからは一人で競馬を覚えるんだ。

そうですね、分かりました!大丈夫です!

もし困ったことがあれば、競馬仲間を作ると良い。競馬場やSNSで交流すれば、いくらでも作れるはずだ。

大丈夫です!では、お疲れさまでした!

・・・それでも困ったら、そのときはまた・・・。くっ・・・。

なんかくどいな。もう大丈夫ですって。どうしました?

・・・今日で卒業でお別れだと言うのに、君にはわびしさとか寂しさとかは、そういう感情は無いのか?

絶対ないでしょ!突然現れて、競馬のこと勝手に教えてきただけだよ?しかも、そんな変なお面かぶって私じゃなかったら警察呼ばれてるよ。次から気を付けてね!

・・・まさか最後に説教されるとはな。全く先が読めない展開、これも競馬の醍醐味だ。

関係あるか!もういーよ!


★★もう一回最初から読むあなたはとっても素敵です★★

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