昨年の天皇賞はリスクグラシューが勝ったのかー。これは盛り上がっただろうなー。
・・・おいおい、どうした、どうした。『ウォッカなのかウオッカなのか、どっちか分からないけど、とにかく大好きです』競馬の伝道師ODINです。
ああ、ODINさん。今過去のG1レースを振り返っていたんですけど、去年の天皇賞はすごいですね。アーモンドアイ、サートゥルナーリア、ワールドプレミア、強く有名な馬が勢ぞろいです。
ふっふっふ。2019年の天皇賞は、史上最多となる11頭のG1勝利馬が集結したレースだからな。中央競馬の1年の締めくくりに相応しい、豪華絢爛なレースだった。
しかし、そのような馬の名前がポンポン出てくるとは、どうやら立派な競馬ファンに成長したようだな。
・・・確かに過去のレースが気になるくらいですからね。すっかり競馬にはまってしまったかもしれません。ODINさんの基礎講座も、気が付けば20回目ですし。
そうだな。そして、今回が最終回だ。最後は、これまでの競馬界の栄光と繁栄の象徴である国民的なスターホースを紹介しよう。私の競馬基礎講座における卒業証書のようなものだ。
ディープインパクト
基本情報
生誕~死没 | 2002年3月25日~2019年7月30日(17歳没) |
競走馬の現役期間 | 2004年~2006年 |
性別 | 牡(オス) |
父 | サンデーサイレンス |
母 | ウインドインハーヘア |
馬主 | 金子真人ホールディングス |
調教師 | 池江泰郎 |
主戦騎手 | 武豊 |
生涯成績 | 14戦12勝 |
獲得賞金 | 14億5455万1000円 |
主なG1勝利レース | 皐月賞、日本ダービー、菊花賞、天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念など |
主なタイトル | JRA賞年度代表馬、顕彰馬、IFHA世界ランキング1位 |
来歴
武豊騎手が「走っていると言うより飛んでいる感じ」と評価した競馬界を代表するスターホースです。現役時代はわずか2年間ですが、その圧倒的なパフォーマンスにより、競馬ファンのみならず日本中を熱狂させました。日本競馬で最も有名な競走馬と言っても過言はないでしょう。
デビュー7戦目で、史上2頭目となる無敗での牡馬クラシック三冠を達成し、国内では13戦12勝(唯一の1敗は2着)と無敵でした。
世界最高峰の競馬レースと言われるフランスの凱旋門賞では、1番人気ながら3着と振るいませんでしたが、その年の世界統一ランキングで芝・超長距離部門の世界ランキング1位を獲得しています。
現役引退後は、種牡馬(父親)として活躍し、数々のG1レース勝利馬を輩出しました。初めての産駒(子供)がデビューした2010年から死去する2019年まで、ほぼ毎年日本リーディングサイアー(種牡馬ランキングTOP)を獲得しています。
2019年7月、頚椎骨折のため安楽死の処置が取られ、17歳の若さで亡くなりました。翌週のJRAレースでは、数々の追悼競走が実施されたほか、自身が重賞初制覇を果たした「報知杯弥生賞(GII)」が「報知杯弥生賞ディープインパクト記念」に名称変更されるなど、その偉大な功績は今でも称えられています。
代表的なレース(2005年10月23日菊花賞)
史上2頭目となる無敗でのクラシック三冠を達成したレースです。このレースを担当した馬場鉄志アナウンサーの実況中継は、のちに「FNSアナウンス大賞」を受賞し、今もなおスポーツの名実況シーンとして語り草になっています。
ナリタブライアン
基本情報
生誕~死没 | 1991年5月3日~1998年9月27日(8歳没) |
競走馬の現役期間 | 1993年~1996年 |
性別 | 牡(オス) |
父 | ブライアンタイムズ |
母 | パシフィカス |
馬主 | 山路秀則 |
調教師 | 大久保正陽 |
主戦騎手 | 南井克巳 |
生涯成績 | 21戦12勝 |
獲得賞金 | 10億2691万6000円 |
主なG1勝利レース | 朝日杯3歳ステークス、皐月賞、日本ダービー、菊花賞、有馬記念など |
主なタイトル | JRA賞年度代表馬、顕彰馬 |
来歴
史上5頭目の牡馬クラシック三冠馬で、「シャドーロールの怪物」という愛称で親しまれていました。兄弟馬であるビワハヤヒデと共に、中央競馬の第二次ブームをけん引しました。
デビュー6戦目に弱点克服のためにシャドーロールを装着してから真価を発揮し、そこから半年間で、G1レース5連勝、10レース連続連対(2着以内)を達成させ、一躍スターダムに躍り出ました。その年はJRA年度代表馬に輝き、年間総収得賞金の7億1280万円は、今も破られていない史上最高額です。
1996年6月(6歳)に屈腱炎を発症させ、突然現役生活を終えることになりました。引退後は種牡馬となり、内国産馬として史上最高額となる20億7000万円のシンジゲート(種付け料)が組まれました。
しかし、1998年6月に胃破裂のため安楽死の措置が取られ、わずか8歳でこの世を去りました。種牡馬としての活動はわずか2年足らずであり、目立った活躍はありませんでした。
なお、TV番組「とんねるずのハンマープライズ」でたてがみが高額で落札されたり、福本伸行著「銀と金」で日本最強馬として登場したり、レース以外でもたくさんの話題を提供しました。間違いなく、20世紀を代表する1頭です。
代表的なレース(1994年11月6日菊花賞)
史上5頭目となるクラシック三冠を達成したレースです。芝状態が悪かったにも関わらず、兄弟馬のビワハヤヒデが前年にマークしたレースコートを更新する走破タイムで優勝しました。
ハイセイコー
基本情報
生誕~死没 | 1970年3月6日~2000年5月4日(31歳没) |
競走馬の現役期間 | 1972年~1974年 |
性別 | 牡(オス) |
父 | チャイナロック |
母 | ハイユウ |
馬主 | 王優→ホースマンクラブ |
調教師 | 伊藤正美→鈴木勝太郎 |
主戦騎手 | 福永二三雄→増沢末夫 |
生涯成績 | 22戦13勝 |
獲得賞金 | 2億1956万6600円 |
主なG1勝利レース | 皐月賞、高松宮記念、宝塚記念など |
主なタイトル | 顕彰馬 |
来歴
1972年に大井競馬場でデビューしました。6連勝を達成すると「地方競馬の怪物」と注目を集め、1973年に中央競馬に移籍します。移籍後も連勝を重ねて、皐月賞で勝利するとその人気は競馬の枠を超え、社会現象に発展しました。
数々のレースで、史上最高の単勝支持率、史上最高の観客動員数、史上最高のファン投票数を記録し、日本競馬の第一次ブームの立役者と評価され、顕彰馬を受賞しています。
1974年、引退試合となった有馬記念では惜しくも2着に終わりましたが、TV中継で流された「さらばハイセイコー」という楽曲は、50万枚を超える大ヒットとなりました。
引退後は、種牡馬として多くのG1レース勝利馬を輩出し、日本リーディングサイアー(種牡馬ランキングTOP)を獲得しています。種牡馬になってもその人気は衰えず、観光バスの行列ができるほど多くのファンが牧場を訪れ、「馬産地を見学する」という文化を作ったともいわれています。
2000年5月に、寿命により31歳で亡くなりました。中山競馬場、大井競馬場ではハイセイコーの銅像が建立され、その偉大な功績が今も称えられています。
代表的なレース(1973年4月15日皐月賞)
中央競馬移籍後初めてのG1レースです。このレースに勝利して、ハイセイコーは国民的な人気馬となりました。地方競馬からの移籍馬が皐月賞を勝利したのは、中央競馬史上初めての快挙でした。
・・・最終回に相応しい素晴らしい馬ですね。競馬を始める前から、名前くらいは知ってました。
そうだな。日本競馬界の栄光と繁栄を築いた日本を代表する名馬たちだ。
そして、今回をもって、ODINさんの基礎講座も終了ですね。最初はどうなるかと思いましたが、細かく教えてもらったおかげで、かなり競馬を好きになることができました。
・・・それは「競馬の伝道師」冥利に尽きる話だな。色々大変だと思うが、今日までよく付き合ってくれた。・・・本当にありがとう。
こちらこそありがとうございました!これからは一人で頑張りますね!お疲れさまでした!
・・・そうだな。もう目の前に突然現れることもないだろう。これからは一人で競馬を覚えるんだ。
そうですね、分かりました!大丈夫です!
もし困ったことがあれば、競馬仲間を作ると良い。競馬場やSNSで交流すれば、いくらでも作れるはずだ。
大丈夫です!では、お疲れさまでした!
・・・それでも困ったら、そのときはまた・・・。くっ・・・。
なんかくどいな。もう大丈夫ですって。どうしました?
・・・今日で卒業でお別れだと言うのに、君にはわびしさとか寂しさとかは、そういう感情は無いのか?
絶対ないでしょ!突然現れて、競馬のこと勝手に教えてきただけだよ?しかも、そんな変なお面かぶって。私じゃなかったら警察呼ばれてるよ。次から気を付けてね!
・・・まさか最後に説教されるとはな。全く先が読めない展開、これも競馬の醍醐味だ。
関係あるか!もういーよ!
★★もう一回最初から読むあなたはとっても素敵です★★